内向的、敏感な人(HSP)の世界
私には苦手なことがあります。
5人以上の飲み会。
長時間の会議。
1週間に3回以上会食が入る。
電話がちょくちょくかかってくる。あるいは、ちょくちょくかけなければならない。
出張に出かけて四六時中仕事の人と一緒にいる。
誰かと誰かが言い争っているのを見る。そういうメールを読む。
大声で話す人。どなる人。
・・・などなど。こういうことが続くと、ううううっと体調が悪くなってしまいます。
なので、職場選び・仕事選びというのはなかなか難しく、自分に合う仕事に悩み続けたのが20代であり、いまだに、悩むことが多い仕事人生であります。
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そんな私にとって、2013年に出会って以降、バイブルとなっている本があります。
その本のタイトルは「内向型人間の時代」。(原題:Quiet -The power of introvert in a world that can't stop talking)
*現在は文庫版&Kindleも出ているそうです
■私が疲れる理由が分かった
この本に出会ったのは、著者スーザン・ケインの Ted Talksを聞いたことがきっかけでした。トークのタイトルは、「内向的な人の秘めている力」。
彼女はこのトークの中で、読書が大好きだった自分の幼少期を振り返ります。そして、「社交的で活動的であることが何より評価される文化において、内向的であることは肩身が狭く、恥ずかしいとさえ感じられた」と語ります。
しかし彼女によれば、内向的な人は世界に多大な才能と能力をもたらしているのだから、内向性はもっと評価され・奨励されるべきだ、というのです。
(トーク内容の日本語書き起こしはこちらのリンクから読めます⇩)https://www.ted.com/talks/susan_cain_the_power_of_introverts/transcript?language=ja
彼女のTed talksと本は、私に以下の3つの視点をもたらしてくれました。
1.私が生きている社会は、「明るく社交的で自信ありげなのが良いこととされる社会」なのだという気づきをえました。
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2.対して私はというと、「大勢よりも一対一の会話を好む」「ひとりでいる時間を楽しむ」といった特徴を持つ「内向型人間」なのだ、という気づきをえました。
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3.ときどき感じる私の居心地の悪さは、「社会規範」と「自分」の "ズレ" から来るくるものであって、恥ずべきものではないではないのだ、と気づきました。
このように、自己と社会への認知がガラリと変わり、私の中で、捉え直し が起こったのです。
それまでは、とても騒がしい世界の中で、静けさを求める私は、疲れていました。
たとえば、強く自信たっぷりにモノを言う人に圧倒されてしまう。話している内容が正しいかどうかは別として。
早くたくさん発言する人にも圧倒されてしまう。
そういう人とのやりとりで、消耗してしまう。など。
でもスーザン・ケインの本に出会ったことで、まず「自分はこういう場面ではこう感じる人間なのだ」と素直に自分を認めることができました。そして、その上で、「そんな自分にあう生き方・働き方」について、考えるようになりました。
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■フィンランド人の「マッティ」は、私の憂鬱に似ていた
私は、フィンランドで人気のコミック、「マッティは今日も憂鬱」とその続編「マッティ、旅に出る。」の2冊の翻訳を手がけました。
翻訳の過程で私は、スーザン・ケインの本に出会ったときの気持ちを何度も思い出していました。
というのも、主人公マッティが感じる「憂鬱」が、ところどころ「内向的な人が感じる憂鬱」と重なって見えたからです。
■「HSP(敏感な人)」という概念
「マッティ」シリーズを翻訳している間、私は「内向的な人」というキーワードに加えて、さらに「HSP (Highly Sensitive Person)/ 敏感な人」という新たな概念に出会いました。
HSPというのは、心理学者のエイレン・N・アーロンが定義した概念で、ひと言でいえば、「とてもきめ細かいフィルターで世界に接している人」です。アーロン博士によれば、全人口の15%から20%の人にこの特徴が見られます。
HSPの人は、きめ細かいフィルターで世界に接しているため、外界から入ってくる情報量がやたらと多くなってしまいます。だから、人混みが苦手、大きな音が苦手、音や香りや人の感情に敏感、といった特徴があります。敏感さゆえ、社会と接する中で憂鬱を感じ取る場面も多い。しかし逆に、美しい自然の中では心の底から喜びを感じたり、動物や植物と接するのが得意だったりします。
HSPという概念との出会いは私にとって、スーザン・ケインの本に続く第二の衝撃でした。「そうか、自分に起こるあれこれは敏感さゆえのことだったのか・・・」と、自分の経験を捉え直すことになったのです。
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例えば仕事上、やむを得ず見た映画の中の暴力シーンが辛すぎて気分が悪くなり、数日間体調不良になるといったことがあったのですが、それもHSPなら起こりうることだ・・・と納得しました。(どんなに安っぽく作られたドラマだろうと血が流れるシーンを見ると「痛い」と思ってしまいダメです・・・)
一方、フィンランドに行くとすっと心が落ち着くのは、私に飛び込んでくる情報量がちょうどよく、緑ゆたかで、たとえ都会でも街全体がうるさすぎないからかもしれない、と考えると、非常に腑に落ちたのです。
■「内向的な人」と「HSP」の関係
ところで、スーザン・ケインのいう「内向的な人」と、アーロン博士の「HSP(敏感な人)」は一部重なるように思えます。この2つの概念の関係性についてスーザン・ケインは、「敏感な人の70%は内向型」と解説しています。
私の場合は・・・敏感かつ内向型、両方当てはまるタイプかなと思います。
■自分を知ることで、世界との新しい関係が始まる
さて。こんな風に自己認知を深めることは、自分を正当化することとは、違います。内向型の人や敏感の人は、それとは逆の人間像が良しとされる世の中では、そもそも自己肯定感が低いことが多いのです。たとえば学校で。会社の飲み会で。ことあるごとに、自分は自分のままではダメなんだ、もっと外向的であらねば・・・と思わされていたような気がします。
そのように、自己肯定感が低くなりがちだからこそ、まずは自分自身について、否定的でははなく、フラットに、ありのまま捉え直す、という作業が必要なのだと思います。
そしてそこから、「自分と世界との新しい関係」が始まるのだと思います。騒がしい世界と戦うでもなく、逃げ隠れるわけでもなく。新しく獲得した視点から、もう一度、自分の可能性を発見する。まだ見ぬ素晴らしさや喜びを、新たに発見していくことができるのではないかと、思います。
スーザン・ケインの本や、「マッティ」のシリーズは、私にそんなことを教えてくれました。
■おまけ:HSP関連の本はいくつか出ていますが・・・私が読んでよかったもの
1)がっつり網羅&学術的: 「ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。」(エレイン・N・アーロン著、冨田香里訳、SB文庫)
2)なじみやすい語り口で読みやすくアドバイスも身近:「鈍感な世界に生きる敏感な人たち」(イルセ・サン著、枇谷玲子訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン)
などが私のお勧めです。
HSPという概念を正しく理解したい人には、やはり、提唱者であるアーロン博士の本(上記の①)を読むことを強くお勧めします。対して 2)の本は、優しく寄り添ってくれる語り口なので、疲れているときでも、構えずに読めます。
■おまけ2:今まさに自分の繊細さゆえに仕事で悩んでいるという方がいたら、こちらの記事を是非読んで欲しいです。
■2019年追記:
HSPは、心理学者が提唱した概念です。全人口を、敏感な人から鈍感な人に配置した場合に、「最も敏感より」に位置する人上位15-20%に対してつけた、いわば便宜的な呼び名です。(全人口のうち、敏感寄りの15-20%は「HSP」ということになるのですから、あくまで便宜的な線引きだと感じます。)名前のないものに名前をつけて、あるラインに境界を引いて、「HSP」という名前で捉え直した。これはそれ以上でもそれ以下でもなく、過大に受け止めるものではないと思っています。まして、「病気」などではない。(というのが、私がアーロン博士の本を読んだ解釈です。)
自分の生きづらさを解消するヒントを探している人にとっては、HSPという名前が与えられることにより、人と体験を共有しやすくなり、ノウハも蓄積される。そういうメリットのために、補助的な言葉として活用するのには便利だと私は思います。
一方で、HSPで悩む人が多いことに目をつけて、その悩みにつけ込むような記述をしているものにはどうか気をつけて欲しいです。怪しい言説に惑わされないためにも、HSPについて気になり始めたら、まずは、アーロン博士の本を読み、正確な定義をたしかめることをお勧めします。